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響きの万華鏡~ヘクサコード・ファンタジア 「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ」といったら、たいてい誰でも何を意味しているのか予想ができるでしょう。しかし、『このヘクサコードがさぁ・・』、などと話題を振られたら、どうでしょう? しかし、今の21世紀においては、このふたつはほとんど同じ事を指しているといっても差し支えないでしょう。中世・ルネサンスの音楽におけるは重要な要素のひとつであった、ヘクサコードとは6つの音が音階の中で、全音・全音・半音・全音・全音という、真ん中に半音を挟む形で並んでいる音階の事を指します。それがつまり、現在われわれが知っているド、レ、ミ、ファ、ソ、ラに当てはまるわけです(Ut, re, mi, fa, sol, laと呼ばれました)。 自然な音階の中ではこのヘクサコードを3種類作ることができます。そしてそれらの組み合わせによってその音名をあらわしました。それがいわゆる、ソルミゼーションと呼ばれる階唱法です。しかし、当時の人々にとっては、音階、もしくは旋律の中のある一音が、「ド」なのか、あるいは「ソ」と階唱するのかということは大きな問題のひとつでした。そして、そこにはわれわれが知っている最後の「ド」を導くための「シ」が存在しませんでした。半音はすべて「ミ」と「ファ」として考えられました。シャープ記号の音を「ミ」と読み、フラット記号を「ファ」と読むということ、こうしたことが、どのヘクサコードがどの列に属しているのかを判別するためのひとつの鍵となりました。 さて、このヘクサコードはこうした理論と実践だけにとどまらずに、ひとつの旋律のかたまり、つまりひとつの主題として、16・7世紀の作曲家たちの霊感を呼び起こすものともなっていきました。今回は、そうして残されたものの中から特に傑作と呼べるものを4曲選んでみました。それらはいわば、バッハの『フーガの技法』のような側面を持っていることを指摘できるでしょう。つまりそれは、同じ主題によって展開され、無限の可能性を吟味している・・・それが異なる作曲家によるものなのです。 全体が、こうした複雑な対位法の曲ばかりになってしまわぬよう注意を払いながらも、ソルミゼーションを基にした曲、同時代の変奏曲や舞曲などを織り込み、めくるめくヘクサコードの世界にどっぷりとつかっていただければ幸いです。 (渡邊孝) Hexachord Fantasia... フローベルガー Johann Jacob Froberger (1616- 1667) ファンタジア「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラによる」 Fantasia sopra Ut re mi fa sol la. libro secondo 1649 バード William Byrd(c. 1540- 1623) コラント(クーラント) Coranto (MB. 45) Anon. Alemande Brun Smeedelyn Susanne van Soldt manuscript [1599], London, British Musicum, Add. 29485 バード William Byrd ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ Ut re mi fa sol la (MB. 64) フレスコバルディ Girolamo Frescobaldi (1583- 1643) カプリッチョ2番「ラ・ソ・ファ・ミ・レ・ドによる」 Capriccio II sopra “La sol fa mi re ut” Il primo libro di Capricci fatti sopra diversi soggetti e arie, 1624 ジョン・ブル John Bull (1562-3 – 1628) 私自身、ブルのおやすみなさい、王の狩 My Self (MB. 138) Bull’s Goodnight (MB. 143) The King’s Hunt (MB. 125) - Pausa - 16世紀作曲家不詳 Anon. (16 century) ラ・ミ・レ Upon la mi re フローベルガー J. J. Froberger ファンタジア4番「ソラレ、ラシ・ファレ・、ミ」 Fantasia IV Sopra Sollare: lasia fare mi libro secondo 1649 トムキンス Thomas Tomkins (1572- 1656) 心の乱れた時の悲しみのパヴァーヌ A Sad Pavan for these distracted times (February 14, 1649) 16-17世紀作曲家不詳 Anon.(16- 7 Century) スパニョレッタ Spagnoletta スウェーリンク Jan Pieterszoon Sweelinck (1562- 1621) 変奏曲「私はライン河を渡って」 Variations “Ick voer al over Rhijn” ヘクサコード・ファンタジア Hexachord Fantasia Clavicembalo: Takashi Watanabe 5/31(土) 19時 目白聖公会 S5000円 A4000円 自由3000(完売) チケットのお申込みは、03-3901-1573 又はオーダーフォームから。 #
by alquimista-mr
| 2008-05-27 01:46
| 目白バ・ロック音楽祭
ジョバンニ・バサーノ(1560/61〜1617):リチェルカーレ4番 バサーノは、イタリアの音楽家・楽器製作家の家系で、イギリスとイタリアにその活躍の基盤がありました。ジョバンニはヴェネツィアで活躍したコルネットの名手で、ヴェネツィア総督付きの木管アンサンブル奏者、サン・マルコ寺院の神学校の歌唱教師などの地位を経て、最終的には同教会の首席器楽奏者を勤めました。この曲は、1585年に出版された、ディミニューション(装飾的変奏)のための手引書”Ricercate, passaggi, et cadentie”の一曲です。リチェルカーレとは、『探求』を意味するイタリア語で、ルネサンス後期からバロック初期にかけて多く作曲された器楽曲のことで、プレリュードとしての役割も果たしました。模倣対位法を駆使したリチェルカーレもありますが、この曲集はむしろ、器楽演奏のための練習曲という意味でモチーフを『探求』しています。練習曲とはいうものの、雰囲気のあるこの曲を今回のプログラムのプレリュードにすることにしました。 ファン・エイク(1589−1657):『笛の楽園』より『戦争』 ファン・エイクはオランダの科学者/音楽家で、オルガン、リコーダー、そしてカリヨン(鐘)の名手であり、ユトレヒト司教座聖堂のカリヨンの責任者でもありました。盲目であった彼は、聖ジョン教会横の庭でリコーダーの即興演奏をして道行く人々を楽しませたことでも有名です。『笛の楽園』は、彼の即興演奏を同時代人が書き留めたもので、そこには民謡、舞曲、教会音楽、流行歌など、当時の人々が日常的に耳にし、また口ずさんでいたと思われるメロディーがとりあげられています。戦の音を模倣した“Battaille“『戦争』は、戦の絶えなかったこの時代だけにポピュラーでした。この曲は、集合のトランペットの合図から始まり、士気をあげる為の国歌へと移った後、敵襲の警告、開戦を待ち望む歌と続き、開戦するところで終わっています。 J.S.バッハ(1685−1750):無伴奏ヴァイオリンソナタ第一番 バロック・ヴァイオリンソロ曲のレパートリーとしてどうしても外せないのがバッハの無伴奏ソナタとパルティータです。バッハが器楽曲を盛んに作曲したケーテン時代の1720年に書かれた美しい自筆譜が現存しています。この年は、バッハがレオポルト公の湯治に同行しケーテンを離れていた1ヶ月あまりの間に、妻のマリア・バルバラが急死するという不幸のあった年でもありました。第二番パルティータのシャコンヌが亡き妻への哀悼音楽だという仮説も存在します。ここで取り上げたト短調のソナタは、典型的な教会ソナタ形式で、訴えかけるようなアダージョの後に、フーガが続きます。大学時代の私の師は、このコンビネーションをよく、『アダージョは、不完全な人間から神への祈り、訴え、懺悔であり、フーガは神の完全性を示している』と説明していました。子供の死亡率が高く(バッハの子供20人の子供たちのうち成人したのは7人)戦争、疫病などの多かったこの時代、「死」は常に生活と隣り合わせにありました。この曲は教会での演奏の為に書かれた訳ではなく、世俗曲なのですが、それは逆に、世俗の生活と宗教生活がそれほど分離していなかったことを示してもいます。実際、バッハは自らの音楽活動を神への奉仕と考えていました。バッハの「祈り」のかたちを、ここに垣間見ることが出来るかと思います。 トマス・バルツァー(1631−1663):『ジョン、来てキスして』の主題による変奏 戦、祈り、と続いたところで、次は恋歌です。本来、この曲はソロの為に書かれた訳ではなく、反復する通奏低音パートがあるのですが、歌詞も分かりやすくメロディーもなじみやすいので、恋歌として分かりやすそうだと思い、あえて取り上げました。当時は巷の流行歌のメロディーを手元にある楽器で気軽に即興変奏することが普通でしたから、古楽演奏習慣としてそんなに間違ってはいない筈・・・です。分かりやすいので、以下に歌詞をあげておきます。ぜひ一度口ずさんでみてください。 O John, come kiss me now, now, now; O John, my luve, come kiss me now; O John, come kiss me by and by, For weel ye ken the way to woo, 無伴奏ヴァイオリンの為のアリア リューベック出身のバルツァーは1655年にイギリスへ渡り、それまでイギリスになかったヴァイオリン演奏法(高音域の多様や重音奏法など)でロンドンを席巻しました。このアリアは、プレリュードで始まったあとは舞曲が続きます。アルマンドはオープニング、またはこの曲のようにフレリュードの次に配置されることの多い、ドイツ起源の踊り・・・というよりは男女のペアが列になって行進するかたちのものです。宮廷の貴族たちが、女性はドレスを揺らしながら、男性は堂々と舞踏のために出そろって来る・・・というところでしょうか。サラバンドはもともと、南米が起源のテンポの速い踊りでしたが、あまりに官能的だったので一時禁止され、後にフランス宮廷で、遅いテンポの舞曲へと様式化されて普及しました。それでも、舞曲のうちではもっともセンシュアルです。クーラントは「走る」という意味で、このイタリアバージョンであるコレンテは走るような曲が多くあります。ですがもちろん、フランスの宮廷では実際に「走る」というようなはしたないことはしなかったのでしょう、クーラントは軽快でありながらコレンテより落ち着いたテンポで、へミオラ(アクセントの位置を小節線から意図的にずらし、聞こえて来る拍子を一時的に変える技巧)のスパイスが利いたコケティッシュなダンスです。 ジョージ・フィリップ・テレマン(1681-1767):無伴奏ヴァイオリンの為のファンタジー第7番 今ではバッハの方が遥かに有名ですが、バロック時代に一世を風靡していたのはこちらのテレマンでした。自分の刊行した音楽雑誌に新曲を毎号載せるというアイデアを実行した商売上手であっただけでなく、彼は流行にも敏感でした。このファンタジーが出版された当時の告知には、12曲のうち、「6曲はフーガを含み、6曲はギャラント様式」であると書かれていました。当時の伝統的スタイルで、少々堅苦しいと思われつつあったフーガと、新しい流行のギャラント様式、両方を含んでいた訳です(それぞれ前半6曲と後半6曲があてはまります)。第七番はギャラント様式の作品です。このスタイルは、バロック音楽のゴテゴテした装飾や複雑なフーガを敬遠して主旋律を重視し、耳に心地よい音楽を多く生み出しました。また、音楽活動が教会からサロンへ移行したのに伴って、音楽表現はより繊細になり、和音も単純になると同時に、突然の音量の変化が頻繁に指示されるようになりました(狭い空間で効果の現れる技法です)。変ホ長調という、フラットの多い曲ならではの、柔らかさを味わってください。 イル・ヤ・ツェレンカ(1932−):バガテル(2001) 古いものばかり弾いて来ましたが、最後に、時代を現代に戻したいと思います。スロヴァキア人作曲家であるツェレンカはスロヴァキア作曲家協会の会長を務めていましたが、政治的情勢に翻弄されユニオンから追放、一時期作品の公開を制限された時期もありました。このバガテルは、民族音楽のフレーズが現れ、単純ななかにもメリハリがあるキャラクター・ピースです。 古楽器を演奏し始めたばかりの頃、レトリックを意識した、語りかけるような音楽表現に魅了されました。古楽を学ぶことを通して、モダン楽器を勉強していた頃、技巧的なことや均質な音の追求に追われ見過ごしていた音楽の本質的な面、すなわち、人から人へ語りかけるものである、ということを、じっくり見直すことにもなりました。300年前の音楽も現代の音楽も、その形式や響きは違っても、コミュニケーションの形であることに変わりはありません。「クラシック」「古楽」「現代音楽」という枠組みにとらわれず、楽しんでいただければ幸いです。(高橋未希) バッサーノ:リチェルカーテ・クワルタ イ短調 Giovanni Bassano: Ricercate quarta a-moll (3’30) ファン・エイク:戦争 Van Eyck : “Batali” from “Der Fluyten Lusthof” C-dur(3’50) J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV1001 J.S.Bach: Violin Sonata No.1 g-moll (17’) Adagio Fuga Siciliana Presto トーマス・バルツァー: 「ジョン,来て,キスして」によるディヴィジョン ト長調 Thomas Baltzar: A Division on “John come kiss” G-dur (4’40) トーマス・バルツァー:無伴奏ヴァイオリンのためのアリア Baltazar: Aris for solo violin g-moll (11’) Preludium Allemande Courente Sarabande テレマン:無伴奏ファンタジー G.P. Telemann: Fantasie per il Violino senza Basso Es-dur (8’) Dolce Allegro Largo Presto イル・ヤ・ツェレンカ:無伴奏ヴァイオリンのためのバガテル IL Ja Zeljenka: Bagattelli per violino solo(2001) (5’20) Andante Largo Energio 6/2(月) 19時 目白聖公会 S5000 A4000 自由3000 6/3(火) 13時 聖書神学校 指定5000 自由3000 チケットのお申込みは、03-3901-1573 又はオーダーフォームから。 #
by alquimista-mr
| 2008-05-27 01:45
| 目白バ・ロック音楽祭
あなたが第一発見者! 21世紀の「巨匠」を探せ! 20代で合唱芸術を極めたダイクストラが、オーケストラ指揮者として日本デビュー! 日本フィルハーモニー交響楽団演奏会 ワーグナーと吟遊詩人&シベリウスの2番 ワーグナー:ワルキューレの騎行、 ワーグナー:《トリスタンとイゾルデ》前奏曲 ワーグナー:《タンホイザー》序曲 シベリウス:交響曲第二番 二長調 指揮:ペーター・ダイクストラ 演奏:日本フィルハーモニー交響楽団 6/3(火)19時 文京シビック大ホール(1802席) S5000円 / A4000 / B3000円 /学生2000 チケットのお申込みは、03-3901-1573 又はオーダーフォームから 目白バ・ロック音楽祭祝祭合唱団★結成記念コンサート カテドラルに響き渡るバッハの感動 必見!ダイクストラ、バッハ・モテットを語る! (Youtube) 6/6(金)19時 東京カテドラル聖マリア大聖堂 S6000円 / A4500円 / 自由席3000円 チケットのお申込みは、03-3901-1573 又はオーダーフォームから メンデルスゾーン Felix Mendelssohn Bartholdy 詩編第91 まことに主は汝のために御使いたちに命じて Denn er hat seinen Engeln befohlen '4 ヨハン・セバスティアン・バッハ J.S. Bach イエス、わが喜び Jesu, meine Freude '20 ヨハン・ミヒャエル・バッハ Johann Michael Bach 主よ、われ汝を待ち望む Herr, ich warte auf dein Heil '4 メンデルスゾーン Felix Mendelssohn Bartholdy 詩編第43 主よ、我を審(つまびら)き Richte mich, Gott op. 78,2 '4 我が神よ、なんぞわれを見捨てたまいし Mein Gott, warum hast du mich verlassen '8 ヨハン・クリストフ・バッハ Johann Christoph Bach 愛する神よ、われらを目覚めさせてください Lieber Herr Gott, wecke uns auf '5 ヨハン・セバスティアン・バッハ J.S. Bach 主に向かいて新しき歌を歌え Singet dem Herrn ein neues Lied '13 指揮:ペーター・ダイクストラ 演奏:音楽祭祝祭合唱団 通奏低音:大塚直哉(オルガン)、西澤央子(ヴィオローネ) 演奏者プロフィール ペーター・ダイクストラ◎指揮 http://www.peterdijkstra.nl/ ペーター・ダイクストラは、28歳の若さでバイエルン放送合唱団の音楽監督に抜擢された、新世代のオランダの指揮者である。子供時代から、“神童”ボーイ・ソプラノとしてモーツァルト《魔笛》の童子やブリテン《アルバート・ヘリング》に出演、アムステルダムで行われていたバッハ・カンタータ・シリーズではグスタフ・レオンハルトの指揮でソプラノ独唱者として活躍する。12歳の時には、早くも父の指導する「ローデン少年合唱団」のリハーサル指導するようになる。 その後ハーグ王立音楽院で、指揮・合唱指揮・声楽を学び、ケルン音楽アカデミーでマルクス・クリードの元で学業を修める。以来ダイクストラは、ベルリンRIAS室内合唱団、デンマーク放送合唱団、BBCシンガーズ等ヨーロッパ第一線のヴォーカル・アンサンブルに客演。2000年の「バッハ・イヤー」(22歳時)には、小澤征爾の指揮する「バッハ:ロ短調ミサ」の合唱指導のためにサイトウ・キネン・フェスティバルに招待される。現在、オランダ室内合唱団、スウェーデン放送合唱団の主席客演指揮者を務め、2006年からはバイエルン放送合唱団の音楽監督。 特に、オランダの男声アカペラ・グループ“The Gents”のリーダーとして仕事は高く評価されており、その公演とCDは多くの音楽賞を獲得している。2002年そのオーケストラ指揮に対して、Kerjes-van-de-Groeneken Prize を、2003年にはその合唱指揮に対して、エリク・エリクソン・アウォードを獲得している。ダイクストラは、古楽から現代音楽までの“様式”を生まれながらに身に付けている、まさに新時代の代表する指揮者の“トップランナー”。モダン・オーケストラの指揮にも着々と進出しており、21世紀の「巨匠」候補の筆頭といえるだろう。 #
by alquimista-mr
| 2008-05-27 01:44
| 目白バ・ロック音楽祭
年の瀬も迫った昨年末。八王子にあるバディアロフさんの工房を訪ね、スパッラの歴史と魅力についていろいろ伺ってきました!通訳は奥さんの菅きよみさんに助けていただきましたが、ほとんどはバディアロフさんが日本語で説明することに挑戦してくださいました!司会の不慣れで、話題があっちこっち重複していますが、「生」の雰囲気をお楽しみいただけたら幸いです。会話の順序は編集しています。(アルケミスタ) ・スパッラの音をちょっとだけ → ・なぜ今スパッラが復活したの? → ・100年前から研究されていた → ・現実の音になるには「弦」が問題だった?(1)(2) ・Bach and Violoncello da spalla - A story of one discovert〔youtube〕 Coming Concerts! 目白バ・ロック音楽祭2008 6/2(月)13時 日本聖書神学校 指定5000 / 自由3000 6/4(水)19時 目白聖公会 S5000 / A4000 / 自由3000 話題の「肩にかけるチェロ」によるバッハ:無伴奏チェロ組曲の驚き バロック音楽のこれまでの常識を覆す「スパッラ」。演奏家、楽器製作家、研究家としてこの楽器を現代に蘇られたバディアロフによるオリジナリティ溢れる演奏で、バッハの無伴奏チェロ組曲第4,5,6番を聴く。 チケットのお申込みは、03-3901-1573 又はオーダーフォームから。 #
by alquimista-mr
| 2008-05-27 01:43
| 目白バ・ロック音楽祭
みなさま また東京に滞在できることを、とても嬉しく思っています。わたしが東京ではじめて演奏をしたのは10年以上前になりますが、それ以来、日本はわたしのお気に入りの仕事場となっています。ホールは素晴らしく、交通の便は完璧、食べ物は世界一おいしい。そして聴衆は、そう、聴衆は、大変に集中力のある教養豊かな人々なので、わたしは他のどの場所で演奏するよりも、美しく洗練された色調で奏でることができます。これはとても感銘深いことです。というのも、聴衆との対話は私にとって重要だからです。だからみなさんに感謝しています。 -------------------- 今夜のプログラムは、異なる様式と表現を織り交ぜています。かつての西洋文化は混合文化でした。イタリアはインスピレーションと革新の源であり続け、フランスは様式(スタイル)と流行(ファッション)を代表し、ドイツは自身の哲学を発展させてきました。そしてそこに、東洋からの新しい声が伝統と現代性の特殊な混合として入ってきます。それが、日本です。今夜私たちが聴く音楽は、私たちの歴史におけるこの極めてダイナミックな展開の結果なのです。 「美徳のはじまり」は、現存するもっとも古い器楽独奏曲の写本のひとつからとられています。美しく保存された羊皮紙の写本は、かつてメディチ家が所蔵していました。メディチ家は音楽、彫刻、文学、絵画、そして・・・お金に対する嗜好で有名でした。時々、彼らは演奏家に作り物の天使の羽を肩にくくりつけて演奏するよう頼んだものです。それにおそらくこの曲はこんな風に演奏されたのでは? ヤーコブ・ファン・エイクは盲目の貴族で、当時もっとも優れた演奏家の一人として知られていました。彼は自分の小さなリコーダーで、当時のヒット曲をもとに、よく庭で即興していました。とうとう誰かがそれを書き留めようと決心し、その結果生まれたのが、「笛の楽園」です。この曲は管楽器独奏のための曲集としては世界最大となっています。わたしは、いくつかの曲でひとつの小さな組曲にまとめました。これらの曲を以前聞いたことのある人もきっといるでしょう。それでも何か驚きがあるかもしれませんよ・・・? ヨハン・セバスティアン・バッハのチェロ組曲は、あらゆる楽器奏者にとって、バッハの重い旋律線を浮き立たせるために必要とされる、あの独特のフレージングとコントロールを練習するのに適しています。これは精神のためのヨーガのようなものです。 廣瀬量平は、わたしたちリコーダー奏者に、これ以上ないほど美しく魅力的な作品を与えてくれました。このような偉大な作曲家が、彼の芸術家手腕にとっては物足りない、リコーダーのような小さな書式を使う労をとってくれたことを、私たちは大変な幸運だと思わなければいけません。「讃歌」は、現在と過去、伝統と現代性の間で激しい葛藤を繰り広げる儀式的作品です。ソナタ風の特徴を備えた古典形式で書かれて、とても強い表現をともなう、悩ましげな展開部を含んでいます。 マラン・マレの「スペインのフォリア」は、もともとはヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のための作品ですが、作曲家自身はもっとたくさんの楽器の可能性を想定しており、出版譜のタイトルページにそれが示されています。今夜みなさんにお聴きいただくのは、マレのアレンジメントをわたしが編曲したものです。新しい変奏順、新しい和声、そして変奏の数は少なくなっています。原曲をとどめている部分は多くないですが、これは意図的なものです。誰かが作ったオリジナルをもとに再創造することが、真にバロック的な思想だと思うからです。 ダン・ラウリン2008 超絶技巧!ダン・ラウリン 無伴奏リコーダー・リサイタル 14世紀作曲家不詳:イスタンピッタ《美徳のはじまり》 Anon (14th century): Principio di virtu ヤーコブ・ファン・エイク Jacob van Eyck (1589-1657): プレリューディウム Preludium ファンタジアとエコー Fantasia en echo Geswinde bode van de min イギリスのナイチンゲール Engels nachtegaeltje 詩篇9番 Psalm 9 人は夜なにをする Wat zalmen op den avond doen J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第二番二短調より J.S. Bach (1685-1750): From cello suite in D minor: プレリュード Preludium アルマンド Allemande 廣瀬量平:讃歌(ヒム) Ryohei Hirose: (1930-) Hymn マラン・マレ Marin Marais (1656-1728) スペインのラ・フォリア(ラウリンによる編曲) Les folies d’Espagne (transcrbed by Dan Laurin) 6/5(木) 19時 学習院創立百周年記念会館・小講堂 全自由席5000円 チケットのお申込みは、03-3901-1573 又はオーダーフォームから。 Dear audience, It is a great pleasure for me to be back in Tokyo. More than 10 years ago I had my first performances here, and ever since Japan has been my favourite place to work: the halls are fantastic, the logistics impeccable, the food is the best in the world, and the audience, well, the audience is so focused and so well educated that I can use finer and more refined colours in my playing than elsewhere. This is very inspiring, because the dialogue with the audience is important to me. For this I thank you. -------------------- Tonight’s program is a mix of different styles and expressions. European culture in the past was a mixed affaire, with Italy remaining the source of inspiration and innovation, France representing style and fashion and Germany developing its own philosophy. And then the new voice from the East, with its particular mix of traditional and contemporary: Japan. The music we listen to tonight is a result of this extremely dynamic development in our history. The “Principio di virtu” is taken from one of the oldest surviving manuscripts with solo instrumental music. The beautifully preserved parchment book used to belong to the Medici family which was famous for its craving for music, sculpture, literature, paintings, and… money. Occasionally, they would ask players to perform with fake angel wings strapped to their shoulders, and maybe this piece was performed like that? Jacob van Eyck was a blind nobleman known as one of the best bell players of his time. He also used to improvise outside in a garden over the hits of the day on his little recorder. Someone eventually decided to write it down, and the result, “From The Recorder’s Pleasure Garden”, was to become the World’s largest collection of solo wind music. I have put together a little suite with tunes some of you surely have heard before, but maybe there are some surprises anyway…? Johann Sebastian Bach’s cello suites are good for players of all instruments to practise that particular phrasing and control needed to survive his heavy, melodic lines. This is like yoga for the mind. Ryohei Hirose has given us recorder players works of unsurpassed beauty and charm. We should consider ourselves extremely lucky that composer of such magnitude has taken the trouble to use such a tiny format as a lonely recorder for his artistry. “Hymn” is a ceremonial piece with strong conflicts between present and past, tradition and modernity put in a classical form with sonata-like features, including an upsetting development part with very strong expressions. Marin Marais’ “Les folies d’Espagne” originally is for viola da gamba and basso continuo, but the composer himself suggests many more possible instrumentations on the title page of the printed edition. What you will listen to tonight is my arrangement of his arrangement, with new ordering of the variations, new harmonies and a reduced number of variations; not much remains of the original work, but this is intentional: it is a truly Baroque thought to re-create on the basis of someone else’s original. Dan Laurin 2008 #
by alquimista-mr
| 2008-05-27 01:43
| 目白バ・ロック音楽祭
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